9.11事件

911

あの9.11事件のときのことをお話します。

何年たっても忘れられないような忌まわしい事件でした。
しかしながら、 そんな時も動いているのが相場なんだと思い知った瞬間でした。

ちょうど、あのテロ事件のあった30分位前だったと思うんですが、ドル/円チャートを見ててここを抜けたら〔カイ〕と見ていたところがあって逆指値の〔カイ〕注文を入れていました。

そのころ私は注文は電話が主で、パソコンは参考になるものを見たりす るだけという状態でした。

トレードを頼んでいた会社から「注文入りましたー!」と電話がかかってきて、ものの15分か20分も経った頃電話が鳴りました。
受話器をとったとたん、「大変なことが起きてしまってー!」と電話の向こうは興奮状態です。

それはそうでしょう。
それまで122~123円だったドル/円がテロ後115円にまで急降下したのですから。

急いでいろいろ検証した結果、115円台になったら〔カイ〕だと思ったので、その会社に再度電話を入れて〔カイ〕注文を入れました。
その会社ではまだあまりポジションを持っていなかったので口座には充分な金額があり余裕、余裕と思っていましたが、返ってきた答えは 「様子見るべきですよー」 とか、果てはその会社の専務さんまで出てきて 「何でも買えば良いというものじゃあありませんよー。

池辺さん一人が買ったってどうなるものでもないですよ」 と、どう説明しても買わない方が良いの一点張りで説得が始まったのです。

「買えないのでしたら他社で買います」 と、置いてあっても仕方が無いからとすぐ出金手続きをとってもらいました。他社も同じかと思いましたがある会社ではすぐ〔カイ〕が入りました。

後日談です。 その後ドル/円は上がりに上がって翌年2月には130円台まで上がり大きく利益を上げることが出来ました。
その専務さんは 「申し訳ないことをしました」 と謝ってこられました。

どうやら、その後トヨタの介入があったらしいということも伺いました。

何があっても、慌てずその後のことを見通すことに集中して目標を立てること、これが私の信条です。

商品先物の投資時代

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私が最初に始めた投資は著書にも書いてある通り「株」でしたが、頼りにしていた投資顧問の先生に言われたこともあって商品先物の世界へ自然に(主婦としては自然に?と思われましたが)移行しました。

でも、まだ先生任せ、先生が急逝されてしまってからは、担当者任せ、という状況に変わりはありませんでした。

ただ、この頃から収益のブレの激しさに「何で?」という私本来の追求心が目覚めてきました。

本格的に勉強しよう!と思い、最初に師事した先生に「中途半端な気持ちならやめなさい」と言われ、厳しい世界だと承知はしていましたが、やってみたいという気持ちに変わりなく、それからは本という本は読み、それを実践して試してみたり無我夢中で頑張りました。

先物取引については、こんな事も書いてあるくらいです。
「先物取引は、非常に専門性・投機性の高い危険な取引です。素人が先物取引によって儲けるということはほとんどありません」と。

仕手筋が意図的に吊り上げたり、売り浴びせたりとストップ高と思えばストップ安続きとか個人投資家には読みにくい相場です。
「どうにかしてこの相場の動きの分析がしたい」 この一念だったと思います。

ハイリターンばかりが強調されがちですが、ハイリスクなのは当たり前 です。私は何でも取り引きしてみましたが、主に乾繭生糸、綿糸、アラビカコーヒー等取り引き量の少ないものをやっていました。

東京商品取引所では1つの価格ごとに競りを行い価格を決めています。
かつては、その競りの仕方は卸売市場で物を競っている様子、又はちょっと前までの株のあの人集りの中での競りの姿を想像してもらうと分かりやすいと思います。
現在ではザラバ取引ではコンピューター内で取引を行っているのに対し、板寄せ取引ではまだ取引時間内に人によって相場を決定しています。

複数の取引価格を中央の人が読み上げ、場たちと呼ばれる人が売りや買いの指示を出し、売り買いの数量が計算されその差が僅かになるまで何度も繰り返し競りが行われます。

そして売りと買いの取引を一箇所に集め、売りと買いの注文が合致されるまで行われるのです。

私はこの過熱感のある独特の雰囲気というか、放送を聞いているのが好きでした。取り引き会社が電話で聞かせてくれるこの放送を聞いている 時を、何とも血が騒ぐような思いで過ごしました。

これは、やがて時代とともに変化して聞けなくなってしまい何とも寂しいと言うか、物足りないという感触を抱いたものです。

トルコ記者との対談

トルコ記者との対談

トルコ共和国の女性ジャーナリスト、Mrs Naime Sert氏との対談です。

彼女は[TURKUVAZ]社の『SABAH』紙の記者であり、同新聞はトルコでは2番目に大きな新聞社です。

Naime Sert 「この度はお目にかかれてうれしいです。タイトなスケジュールでしたので池辺氏にお時間を作っていただけるかどうか心配でした。」

雪子 「私も、このofferをいただいた時は忙しくて時間調整が大変でしたが、私の興味のある通貨であるトルコリラの国の方とは是非にお目にかかってお話ししたかったので、実現して良かったです。」

Naime Sert 「はい。池辺さんはトルコリラに注目なさって、かなりの取引をされていると伺いました。もちろん、他の国の通貨も大きくトレードしていらっしゃることは知っていますが…。」

雪子 「そうですか。どのようにしてお知りになったのでしょう。」

Naime Sert 「Kimono トレーダーとして色々な紙面で拝見しましたし、最近ではweb上でも検索させていただき、今回もこのような機会を得たわけです。」

雪子 「そうですか。これは私からの質問なんですが、今回の世界規模の経済危機には、トルコ国内ではどんな動きがありましたのでしょうか。」

Naime Sert 「トルコの金融政策と紙幣発行はトルコ中央銀行が行っています。2001年2月に大統領と首相が政策をめぐり激しく対立したときには政権崩壊の危惧から株価が暴落する等の危機に見舞われましたが、金融機関への法律強化で現在は安定しています。」

<補足> この経済危機には大量のドル買い圧力にさらされましたが、2000年1月から維持してきたクローリング・ペッグ制を放棄し、2月22日に変動相場制へ移行。 トルコ中央銀行は為替の変動幅が経済に悪影響を及ぼさない限り、原則市場に介入しません。
2001年5月に改正された中央銀行法により、中央銀行の基本的な業務は物価安定の確保となりました。
2005年1月より旧100万トルコリラを新1トルコリラとし、物価や為替相場は落ち着きます。

「ただ、今回の世界同時金融混乱では、大統領声明では大丈夫、心配ないというコメントでしたが、やはり、家電、車の売れ行きの落ち込みはありました。でも、それほど深刻ではありません。」

雪子 「そうですか。国内ではFX取引している方どうなんでしょう。」

Naime Sert 「あまり多くないと思います。相場より例えば、ネックレスやブレスレッド等のアクセサリーそのものを売買しています。金の売買をやっている人は今がピークだと言っていますね。それに、相場ではないんですが、”円”を借りてクレジットを組んでいた人々が一時あまり円高になりすぎて、返済が2~3倍になってしまって困ったということも聞いています。」

雪子 「なるほどね。そういうこともおこりますね。」

Naime Sert 「失礼にならないとよいのですが、どうしても、池辺さんにお会いしたら伺ってみたかったことなのですが、トルコでは考えられないことなのですが主婦の方がトレードをなさっているということが。ご主人からはどうなのですか。奥様がトレードをなさっているということには。」 雪子 「うちは自由です。日本では私のことがきっかけでFX人口が、特に女性が増えたんですよ。」

Naime Sert 「そうですか。私にとっては、というかトルコ人にとっては驚きです。最後に、池辺さんがトルコリラというものに特に興味をおもちになったのはいつ頃からですか?そして、きっかけは何ですか?」

雪子 「そうですね。2007年ころからです。やはり我が国日本との金利差もあります。でも、私が実際にトルコに旅行した時に、トプカピ宮殿にあったものすごい宝石にびっくりして、それ以上に私の興味を引いた未来の象徴とも言える子供たちの生き生きとした目!このことにひかれたのが一番大きな理由です。」

Naime Sert 「まあ、なんて素敵なお話が聞けたんでしょう。うれしいです。とても感激です!(涙)今回は、お時間がなくあまりお話が伺えなかったのでとても残念です。もっともっと伺いたかったです。又是非チャンスがありましたらお願いいたします。」

雪子 「もちろん、またお会いしましょう。」

トルコ『SABAH』の記事